パニック障害を通り抜けて、今

パニック障害を患った私が寛解にまで漕ぎ着け、薬を抜くことに成功しました。その経緯を綴ってまいります。

(12)自衛隊との出会い

私は学習塾の仕事への復帰は諦めた。とにかく病気を治したい、この状態から抜け出したいという一心で過ごしていた。

娘たちを学校に送り出す、その後私は美術館に通った。誰とも話をしたくない、誰にも会いたくない、そんな私に美術館は格好の場所だった。

そんな毎日の中、夫が新田原基地の基地司令にロータリーの卓話をお願いすることになった。

以前から1人で基地航空祭に私は出向いていた。夫はそのことを知っていた。

「お前、自衛隊、好きやろ」

めったに私を連れて外出することのない夫だったが、見るに見兼ねていたのだろうか、私を基地に連れて行ってくれた。

基地と夫を繋いでくれた人、夫、私の三人で、基地司令を表敬。

そして、基地司令、三群司令、飛行教育航空隊司令との会食。

思えばあれが自衛隊基地幹部食堂での、初めての食事だった。

食事の後、私たちは飛行教育航空隊に案内していただいた。

その頃の私は、基地司令と隊司令の区別さえつかなかった。後になって色々と学ぶことになる。

飛行教育航空隊の司令は、とても元気の良い人だった。

この人との出会いを境に、私の症状は劇的に回復をすることになる。