(16)文学界の反応
編集員はこう答えた。
「自衛隊なんて書いても載せないわよ」
それでも書きたいのだと言い続ける私に、別の編集員が言った。
「結論を提示してから書け」
その時私は、戦後日本文学がいかに左寄りであり、自衛隊を否定するものであるか、知ったのだ。
やがてその騒動は地元の新聞を巻き込んだ討論会を引き起こした。
もちろん私はまだパニック障害を克服していなかった。
ただ私は私に立ち直りのきっかけを与えてくださった隊司令との約束を守りたかったのだ。
彼は退官する時に私にこう言った。
「自衛隊に風を通してください」
それがどういう意味なのか、その時の私にはわからなかった。
とにかくアクションを起こせば、何か見えてくるだろう。
そう思って、私は防府北、芦屋、浜松と取材を敢行することにした。
その時の作品名は『Bace Nyutabaru』。
病気と闘っているはずだった私が、自衛隊を文学の世界に持ち込んだ者として、左翼的な文学界と闘う羽目に陥ってしまったのだ。
病気は寛解になったが、左翼の皆さんとの闘いは現在も続いている。
ある意味、左翼の皆さんと闘うことが、私に病気から抜け出すエネルギーをくれていたのかも知れない。
薬によってある程度まで回復した病気を、寛解に持ち込めるかどうかは気力の問題だ。