(18)次女が離婚しました
次女が離婚届を提出しました。
留学を繰り返していてもう結婚しないのかなと思っていた次女ですが、3年ほど前に入籍婚をいたしました。
子供も生まれ私は安心してたのですが、今年に入って次女が離婚したいと言い始めました。
話を聞いてみますと、どうやら彼女の努力不足と言うことではなかったようです。
お産の時になぜ私を呼んでくれないのかなと、私は不思議に思っていましたが、ようやく次女が私に打ち明けてくれました。
夫である人が誰も呼ぶなと言ったとの事でした。そして里帰り出産も許さないと言ったのだそうです。
かといって夫である人のご両親が何かをして下さったわけでは無いようです。
彼女は産後退院してすぐに、自分で買い物に行き家事をこなしたと言いました。
夫は家事を手伝ってくれる事はなかったとも言いました。そして、最近は、夜も帰ってこないとのこと。
私は娘がそんな目に遭っていたのかと改めて驚きました。そして思いました。もう我慢する必要はないと。
すると私の夫が申しました。
「なぜ、もっと我慢ができないんだ」
私のパニック障害の原因になったのは夫のそういう考え方でした。
富山から宮崎に嫁ぎ、慣れない環境の中で孤軍奮闘する私を尻目に、夫は夜の街に出かけていました。
大家族である夫の実家で私は暮らしていました。夫と二人きりになる事はほとんどありませんでした。
その緊張が私を病気へと追い込んでいったのです。
離婚も考えましたが、どこに相談に行っても娘たち二人の親権は取れないと言うことでした。
私は離婚は諦めてこの家にとどまることにしました。
親権が取れない原因は実家の貧富の差でした。
私の実家は会社員の家庭。
夫の実家は多少資産がありました。
それが決定打になりました。
そして、その結果、一生モノと言う病気を背負い込んでしまった訳です。
辛抱しても、辛抱しても正当な評価を受けることなく、私の結婚生活は続きました。
私は娘たちの成長を待ちました。
そしてようやく二人を独立させました。
娘たちには私と同じ思いをさせたくない、その一心で頑張ってきました。
それなのに次女が私と同じ境遇に置かれようとしていました。
私のところに生まれてきてくれた娘です。
幸せになってほしいと思うのが親心です。
幸い次女は子供の親権を取ることができます。
やり直すことができる年齢でもあります。
私は彼女の選択を支持することにしました。
ところが夫は、長年の私の病気との戦いを見てきているにもかかわらず、
「 なぜもっと我慢できないんだ」
と申しました。
「あなたは、彼女を私と同じ病気にするつもりですか!」
私は言い返しました。
まだ1歳半の子供を抱えてのシングルマザー暮らしは厳しいものがあると思います。
それでも我慢するばかりの結婚生活を過ごすよりは、まだましかなと私は思います。
これから彼女をどのようにバックアップしてやれば良いのか、今、考えているところです。