パニック障害を通り抜けて、今

パニック障害を患った私が寛解にまで漕ぎ着け、薬を抜くことに成功しました。その経緯を綴ってまいります。

パニック障害を通り抜けて、今

⑶病院に到着

救急車の中にはいろいろな器具が積まれており、中は意外に狭かった。病院に着くまでの間私はいろいろなことを考えた。時間にすれば10分程度のものだっただろうか。 酸素マスクを当てられてどっかでこんな画面を見たことがあるなぁと考えていた。まさか自分が救急車に乗ることになるとは、想像もしていなかった。 その間も息苦しさや激しい動悸が続いていた。医師や救急隊の方が時々私の顔を覗き込んで、心配そうな様子だった。やがて救急車は市郡医師会病院に到着した。土曜日のことで、受け入れ先は最初から市郡医師会病院と決まっていたようだ。 病院に到着すると私はあっという間に、白衣の人々が取り囲む処置台に移された。みんなが口々に「ここは病院です。もう大丈夫ですよ」と言ってくれるのだが私にはどう大丈夫なのか理解できなかった。 いつの間にか私の体には様々な器具が漬けられていた。心電図計、手首には輸血用のラインも確保されていた。すかさず動脈血が採血されていたようだった。その動脈血の分析の結果、血液中の酸素濃度が高いと言うことがわかった。そのことから医師は私の症状を過呼吸症であると診断した。 そんな症状があるとは知らなかった私は聞き返した。「私はまだ生きていられるんですか」医師は答えた。「当然です」私の心臓は少しずつ落ち着きを取り戻していた。同時に体のしびれも薄らいで行った。 まだ生きていけると医師に告げられたことで、私は安心したようだ。考えてみればまだやりたいことがたくさんあった。娘たちの成長もまだ見守らねばならない。念のために胸部レントゲンを撮影した。肺も心臓も異常はなかった。しばらく様子を見るために入院することになった。 担当は内科の医師だった。多分、電解質を乱しているのであろうということで24時間点滴が始まった。