パニック障害を通り抜けて、今

パニック障害を患った私が寛解にまで漕ぎ着け、薬を抜くことに成功しました。その経緯を綴ってまいります。

パニック障害を通り抜けて、今

⑷発症までの経緯

当時私は夫の経営する学習塾の教室の一つを任されていた。私の教室の塾生の増加の速度は順調で、私自身は自分の仕事に満足していた。私は塾頭として頑張っている自分が好きだった。

夫の経営する学習塾はチェーン展開していた。定期的に地域本部の塾頭会議が開催された。その場では、毎回私の教室の塾生の増加の速度が遅いと激しく責められた。経営者としての夫と、現場を担当する私との立場の違いが明らかになった。

なぜ私の教室だけが会議になると槍玉に挙げられるのか、私にはわからなかった。なぜなら私の教室がいくつかの教室の中で1番多く塾生を集めていたからだ。

学習塾は夏期講習に突入した。

夏期講習は塾生を増やすには絶好のチャンスだった。私は朝の8時から夜の11時まで教室に詰めることにした。もちろん食事の支度や洗濯、子どもの世話、夫の家族の世話なども同時進行した。私の教室は我が家と同じ敷地内にあり、それが可能だった。

自分の体力を過信していた私は、そうした生活を40日間にわたって続けた。

そして夏期講習が終わりテストの集計をしている頃から、私は体調の異変を感じていた。

頭がふらつき、手足が冷たくなることが時々あった。そしてその頻度がだんだん高くなっているのは自分でもわかっていた。

根性があれば、頑張れば、乗り越えることができる。その頃の私は、そう思っていた。