パニック障害を通り抜けて、今
⑸退院
24時間点滴はとても動きにくいものだった。食事はベッドまで持ってきてもらえるが、食後のお膳は自分で返しに行かねばならない。
片手に点滴台のついている私は、とても難儀した。
隣の部屋の患者さんに付き添っていらした方が、見兼ねて手伝って下さった。
とてもありがたかった。
私の家族はといえば、
「死なない病気だ」
と判断して、退院するまでに一度見舞いに来ただけだった。
入院した当日、救急車で運ばれた日だけである。
娘たちは来たくても、大人の協力なしには来られない距離だ。
私は過呼吸が起きた時の対処法を習った。
ビニール袋を口に当て、自分の吐いた息をまた吸い込む。
血中の酸素濃度を下げる、という理論に基づいたものだった。
私の入院していた部屋は四人部屋で、廊下に面した部屋の扉はいつも開いていた。
ベッドの上でビニール袋を口に当てている私の姿を見た人は、たいていもう一度見に来ていた。
たぶん、いけない薬品を吸引しているものと勘違いされたのだろう。
血中の酸素濃度が落ち着き、一週間ほどで退院が決まった。
私は「治ったのだ」と思った。
しかし、退院してからが本当の病気との闘いだった。